2014年10月19日

能力の使い道

 結婚前、バイト先で、
「頭が良いんだから正社員になれば良いのに」
 と言われたことがある。

 好きでバイトしてんじゃねーよ! とか。
(最初の職場はサービス残業に耐えられず退職。
 二つ短期バイトをはさみ、次の正社員での勤め先は三年弱で閉店)

 本当に頭が良かったら↑のような経験を避けることも出来たのでは…… とか。
 まあ色んな思いが交錯したのですが、一番強く感じたのは、
「能力をお金のために使わなくたって良いじゃん!」
 ってこと。

 自分の脳みそがどれほどのものかは分からないけれど、
 私は人生を楽しむためにそれを使い切っている。

「自分の能力でお金を稼ぎ、そのお金を使って楽しむ」
 という方法だけでなく、
「自分の能力を使って楽しむ」
 というお金を介在させないやり方だって十分あり得ると思うのだ。

 確かに能力を一度お金に変換しちゃえば、見えやすいし計りやすいし比較しやすい。
 「正社員」という立場や、企業名・役職名も同じこと。
 でも私はそういう分かりやすいものでは全然満足出来ないんだ。
 もやもやとしたものに対峙して目を凝らし、正体不明のものを拾い集めることにしか興味がない。

 多くの人が、お金を信じ過ぎているように感じる。
 世の中はお金で買えないものだらけなのに。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:15| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年10月12日

性別

 私は性同一性障害ではないし、明確な同性愛者でもないけれど、
「女なら普通やるよね」
 ということが全然出来ないし、かといって男っぽい訳でもない。

 世間で設定されている性別の範囲って、狭過ぎやしないか。
 どこにも入れないまま呆然としている。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:00| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年09月06日

道楽おばさん

 明日は三味線の勉強会です。
 この夏は楽器を弾きまくり、美術を見まくり、本を読みまくりで、楽しかったな〜
 勉強会が終わったら旅行記の印刷と製本だー!
posted by 柳屋文芸堂 at 00:21| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年05月27日

文学的ジャイアン

 私は小学生の頃、ポエトリーリーディングをしていた。
 近所の図書館では司書さんが子どもたちに本の読み聞かせをする「おはなし会」というイベントが開催されていた。
 そこに自作の詩を持って行って、
「読ませてください!」
 と言うのである。

 面白いなと思うのは、子どもの頃から徹底して、
「自分の作品を発表したい」
 という気持ちが強いこと。
 自分一人でノートに書いているだけでは満足しない。

 「言葉」というのが元々「伝える」ための発明品だからだろうか。
 「伝えたい」という欲望は他人がいて初めて成り立つ。

 ジャイアンが人に迷惑をかけないようにするには、
 「上手くなるか」「一人で歌うか」
 のどちらかだ。
 
 一人で歌っていては満たされない。
 結局のところ、上手くなるために全力を尽くすほかないのだ。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:37| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年05月24日

惹かれる、とは

 尊敬出来る人の作品だけを見たり聴いたり読んだりしたいなー、と思っている。
 尊敬出来ない人の作品が評価されているのを知って、
「なんであんなのが!」
 と罵ったりしたくないから。
 
 尊敬する人の作品の中にも異質なものはあるはずで、
「自分と同質のものだけに触れたい」
 というのとは違う。

 時々、尊敬出来ない人の作品をわざわざ見たり聴いたり読んだりしてしまうことがある。
 心の中で悪口を言った後、
「なんでこんなことしちゃうんだろ?」
 と後悔する。

 人は何故か、素晴らしいものだけに触れたがる訳じゃない。
 見たり聴いたり読んだりしたい、という欲望は複雑だ。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:22| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年05月10日

文化のお母さんになりたい

 私は子どもを産めなかった(産まなかった?)ので、せめて、
「『文化のお母さん』になりたいなー」
 と思ったりする。

 「文化」と言うと、意味が広過ぎて曖昧ですね。
 でも、私が好きなものはいっぱいあって、そういう言葉じゃないと包括出来ないのだ。
 文学、語学、漫画、美術、音楽、演劇、科学、食文化……
 日本の、外国の、大昔の、新しいの。

 母親ならばまず産まなければ。
 小説を書く。三味線を弾く。
 で、出来の悪い子ですみません。

 そして育てる。
 このブログの紹介文が愛好者を増やすのに役立っていれば良いけれど。

 お母さんがやるべき一番大事なことは何だろう。
 私が母にやってもらって一番嬉しかったのは、
「常に味方でいてくれる」
 ということだった。

 たとえば学校の教師が私を気に入らず、呼び出しを食ったとしても、
「うちの子は悪くない! あなたたちがおかしい!」
 とケンカをしてくれた。

 私は完璧な人間ではない。
 子どもの頃などさらに不完全極まりなく、私の方が悪かった場合もあったかもしれない。
 それでも母親は絶対的に私の味方だった。
 その安心感が私の芯だ。

 私も文化の味方でいよう。
 絶対的な味方でいよう。
 世界がさらに不自由で不寛容な場所になったとしても。
posted by 柳屋文芸堂 at 22:13| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年04月25日

何のために生きるか

 大学卒業後、最初に就職した会社では、サービス残業が当たり前だった。
 何しろ正社員で働くのは初めてだったから、
「これに耐えなきゃいけないのかな?」
 と思った(初めての恋人がDV男、みたいな感じですね)

 朝から晩まで仕事のことを考え、休日も仕事に役立つ資格の勉強をしたりしているうちに、私の心はどんどん死んでいった。
 駅で電車を待っていると、ホームと線路の境目が分からなくなり、入ってくる電車の前にすっと出てしまいたくなった。

 バカバカしいな、とすぐ気付いて人間をやめずに会社をやめたのだけど、私は仕事人間になれないのだなあ、ということを思い知った。
 何かが足りなくなるのだ。
 白米ばかり食べているうちにビタミンB1不足になって脚気になってしまうような感じ。

 不足したのはおそらく、芸術だと思う。
 もしくはもっと大きく、文化。
 仕事だって文化のうちなのにね(就職する前はそう考えており、サービス残業にも耐えられる気でいた)

 その仕事は、社会や暮らしを便利にすることを目的にしていた。
 私は「便利さ」をあまり大事に思っていないのだと気付いた。
 もちろん完全否定はしない。
 「便利さ」のために、1日7時間くらいなら働けたかもしれない。
 12時間とかはムリ。残業代なしもダメ。

 美と真理のために生きよう。
 私はあの時、そう決めたのだ。

【おまけ】
 「サービ」と入力したら変換候補に「サービス残業当たり前」が出てきた!!
 枕詞かよ。
posted by 柳屋文芸堂 at 02:13| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年04月16日

念願のマイホーム

 結婚してから、
「家買わないの?」
 と度々訊かれるのが不思議で仕方なかった。
 家なんて全然欲しくないから。

「買わない」
「そう」
 で会話が終わるなら良いのだけど、みんなけっこう食い下がってくるんだよね。
 どうして? 子どもがいないから? とか。
 子どもと家に何の関係があるのかも分からない。

 そんな訳でずーっとこの質問に困惑し続けてきたのだけど、今日ネットを見ていたら、
「念願のマイホーム」
 という単語の入った宣伝を見かけた。

 この言い方、決まり文句のように使われるよな……
 私は改めて「念願」という単語の意味を辞書で調べてみた。

 常に心にかけて強く望むこと。
(「デジタル大辞泉」より)

 そんなにも世の中の人は自分の家を持ちたいと望んでいるのか。
 ごめん、その欲望、私には無い。

 欲望は不思議だ。
 アセクシャルと呼ばれる人たちは、男性にも女性にも性的欲望を持たないそうで、その性質を周囲に理解してもらえず苦しむという。
 欲望なんて人それぞれ違っていて当然のはずなのに、多くの人が持っている欲望を持っていないと生きづらくなるのは何故なんだろう。

 目には見えないけれど、他人がまともな人間かどうか判断するための、
「標準欲望1セット」
 みたいなものがあるのだろうか。

 食べたい
 トイレに行きたい
 眠りたい
 恋愛がしたい
 性行為がしたい
 お金が欲しい
 結婚したい
 子どもが欲しい
 家が欲しい
 
 そのどれかが欠けていたら、
「あれ? この人ちょっとおかしい?」
 と警戒したりするのだろうか。

 私は文章力が欲しい。
 見たもの、思ったこと全てを、納得のゆく言葉にしていく力が欲しい。
 子どもの頃からそれこそ「常に心にかけて強く望」み、自分なりに努力してきたにもかかわらず、37歳になった今も手に入っていない。
 今後も愚かしく努力し続けるつもりでいる。

 それでも、
「文章力つけないの?」
 と他人に尋ねたりしない。
「家買わないの?」
 と訊かれた私と同じように、相手が「?」だらけになるのが分かるから。

 何故私はそんなにも文章力が欲しいのだろう。
 何故世間の多くの人は文章力より家の方が欲しいのだろう。

 いちいち考え込むのが面倒なので「標準欲望1セット」が欲しい。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:03| 自分 | 更新情報をチェックする

2014年01月13日

婚外子の水子率

 日本の婚外子の数は、五十人に一人だという。
 同性愛者の数は二十人に一人と聞いたばかりだったから驚いてしまった。
 私ってば同性愛者より貴重品なのね……!
(この率がどれくらい正しいかは不明です。ラジオで聞いたりネットで調べて出てきた数字)

 婚外子の数が少ないのには理由がある。
 妊娠しても、
「お金が無くて育てられない」
「世間がうるさい」
「家庭を壊されてしまっては困る」
 等の理由で堕胎させられちゃうのだ。

 婚内子が水子になる率はおそらく十人に一人くらいだと思うけど、婚外子だと無事産まれる子より水子にさせられる子の方が何倍も、もしかしたら何十倍も多いのかもしれない。

 ”Don't be.”

 私は別に婚外子を増やせとか、婚外子差別を無くせとか言いたい訳じゃない。
(差別されたことほとんど無いしな)
 ただ、自分がこの世に存在している不思議をたびたび考えるのだ。
 水子になる可能性だって十分あったのに、私は何故ここにいるのだろう。

「出かける時は老眼鏡を二つ持っていくし、白いスカートをはく時には必ず予備を用意したし、とっても用心深いのよ」
 と母は言う。
 じゃあ何で避妊しなかったんだよ! とツッコミたいのを我慢する。
 十九、二十歳の小娘ならともかく、四十歳で父無し子ってどういうことだよ。

 ラストチャンス、みたいな気持ちだったのかなー
 三十七歳(子無し)になってみると、少しだけその感覚は理解出来る。
 
 産まなければ良かったのに、とも、産んでくれてありがとう、とも思わない(ごめんよ)
 うっかりとこの世にやってきて、当たり前のように日々生きている奇妙さ。
 
 本人でさえ意味をつかめない曖昧な私の生を、Dちゃんだけが熱烈に歓迎している。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:58| 自分 | 更新情報をチェックする

2013年10月25日

残りの40%

 私は60%くらいしか「女」じゃない気がする。
 では残りの40%は「男」なのか。
 私は男ではないので判断出来ない。

 「男」と「女」は対立する概念なのだろうか(プラスとマイナスみたいに)
 並立するいくつかの概念のうちの二つ、なのだろうか(「しょっぱい」と「甘い」のように)
 (1プラスして1マイナスすると元に戻るが、
  塩を入れ過ぎた料理に砂糖を足しても味は元に戻らない)

 全ての人間は「男」と「女」の混ぜ合わせで出来ているのだろうか。
 それとも本当は「男」と「女」以外にも知られていないいくつかの性別があるのに(「しょっぱい」と「甘い」以外に「辛い」や「酸っぱい」があるように)それを無理に「男」と「女」という概念を使って説明しているだけなのだろうか。

 私は子どもの頃から「残りの40%」に悩まされ、現在はこの「残りの40%」から色々なものを引き出している気がする。
 残りの40%、は一体何なんだ?

 5つの性が複雑に関係し合うことで繁殖する生物、みたいなのがいれば(そしてじっくり観察すれば)考える参考になるかもしれない。
posted by 柳屋文芸堂 at 03:20| 自分 | 更新情報をチェックする