2015年06月07日

共白髪

 一昨年くらいからだろうか、見てすぐはっきり分かるほど白髪が増えた。
 老人への第一歩という感じで、本来なら落ち込む出来事なのかもしれない。

 けれども私は自分の白髪が嬉しい。
 Dちゃんの髪も、私とほぼ同じ速度で白髪混じりになっているから。

 白髪の進み具合には個人差があるはずなのに、不思議。
 同い年で、毎日同じ食事をしているせいかもしれない。

 自分の白髪を見て、Dちゃんの白髪を見ると、
「19歳の時に知り合って、ここまで一緒に歳を重ねて来たんだな……」
 という感慨が胸にふわぁ〜っと膨らみ、じんわり幸せになる。

 過ごした時間が充実していれば、老いるのは悪いことじゃない。
 白髪の本数は、Dちゃんと生きた日々の証。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:46| 家族 | 更新情報をチェックする

2015年05月21日

「父と母」の外側の物語

 自分が母と伯母×2に育てられたので、子どもは「父と母」に育てられなくても良い、と思う。
 まあ、
「変な家庭で育ったからお前は変なんだ!」
 と言われれば、
「そうかも」
 と答えるしかない。でも別に、そのせいで困った記憶はない。

 お父さんとお母さんに育てられた人たちって、お父さんとお母さんにものすごくこだわりがある。
 「お父さんがいない家庭」「お母さんがいない家庭」を「何かが足りない家庭」ととらえてしまうみたい。
 両足のある人が、片足の暮らしを悲劇と感じるのと同じように。
 たぶん、自分の経験にない家庭がどんなものか、想像出来ないのだと思う。

 実際のところ、父と母がそろっているかより、家庭内が落ち着いていることの方が大事なんじゃないか。
 夫婦げんかの絶えない家で育った人の話を聞くと、明らかにそのことで傷ついているのを感じる。

 あともう一つ、お金があるかも重要です。
 母子家庭の大変さは「お父さんがいないこと」ではなく「(稼ぎ手がいないことで)お金がないこと」に起因するものがほとんどのはず。
 お金がないと時間がなくなり、精神的な余裕もなくなるから。

 「お父さんとお母さん」の外側にある家庭の物語を、もっと多くの人が信じられるようになると良い。
 確かに規格外の苦労はあるけれど、社会制度でどうにか出来るところも多いのだし。

 3人の母親に溺愛されたひとりっ子は、世間の多数派を、
「お母さんがたった1人しかいなくて、しかも兄弟がいるなんて、愛情不足で育った可哀想な人たち」
 と見ていたりする。
 もちろん口には出しませんが。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:24| 家族 | 更新情報をチェックする

2015年05月19日

3人の母

 私は母と、伯母(小)と、伯母(大)に育てられた。
 途中、犬がやって来て去っていったが、物心ついてから家を出るまで、人間のメンバーは同じだった。

 伯母(小)は2011年に亡くなった。
 それなのに、夢の中では母と伯母(小)と伯母(大)が3人セットで出てくる。
 母と伯母(大)はまだ生きていて、伯母(小)はもういない、ということを夢見る私は忘れてしまうらしい。
 というより、私にとっては「母・伯母(小)・伯母(大)」は3人合わせて1つの存在なのかもしれない。

 私はいつか母と伯母(大)も失うだろう。
 しかしそうなっても、母と伯母(小)と伯母(大)は何事もなかったように3人セットで夢に出てくる気がする。
 何が起きようと、私は決して母と伯母(小)と伯母(大)を失わないのだ。
 良くも悪くも。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:38| 家族 | 更新情報をチェックする

2015年05月06日

人間が滅んで数百年、みたいな実家に行って来た

 今日は実家に行って来ました。
 在宅医療の日だったので。
 来てもらえるのはありがたいけど、ゴールデンウィークくらい休んだって良いのよ、先生……

 新緑の季節だけあって、実家の周囲も草だらけ、葉っぱだらけ。
 天空の城ラピュタっぽい。
 空き家より空き家らしい(住んでます)

 洗濯物を干すのに邪魔になっていたシュロの葉と、通り道をふさいでいたヤツデの葉を、植木用の大きなハサミで切りました。
 歳を取った時、庭付き一戸建ては面倒だと思う。
 管理し切れない。

 おばあさん二人の体調は落ち着いていて、私の心も穏やかです。
 伯母(大)は寝ながら編み物をしていました。
 認知症が悪化していた時期は気力がなくなり、ただボーッとするばかりだったので、何かを作ろうとしているのが嬉しい。

 編み棒を安全に使えるかが少々気がかりで、
「『串刺しになりました』って病院行くの嫌だからね!!」
 と注意しておきました。

 いつの間にか、紫陽花の黄緑色のつぼみがブロッコリーみたいに育っていた。
 何度か雨が降ったら、この粒の全てが花になるのだ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:44| 家族 | 更新情報をチェックする

2015年04月15日

母の可愛い「しょぼーん」

 母の腰痛治療のため病院通いをしています。
 普段は在宅医療(家にお医者さんが来てくれる)なのですが、それだとレントゲンが撮れないので、紹介状を書いてもらって近所の整形外科へ。
 とりあえず湿布薬と、これ以上悪化させないために骨粗しょう症の薬を使いましょう、という話になった。

「歯の治療はしてますか?」
「いえ、しなきゃなー と思いつつ、なかなか」
 と虫歯だらけの歯を見せる。
「骨粗しょう症の薬は副作用が歯に出やすいので、まずは歯を治してください」

 私がいくら言っても歯医者さんに行くのを渋っていた母。
 まさか整形外科の先生に歯の話をされるとは思っていなかった。
 押し車の、握る棒のところに頭を押し付けて、しょぼーん。
 この姿が、可愛いっ!

 Dちゃんが私を撮影した動画を見ると、表情や動きが大袈裟で、
「こいつは漫画の登場人物か!」
 と自分にツッコミを入れてしまう。
 何か物を眺めている時など、
「しげしげ」
 と手書き文字で空中に書いてあるような錯覚を起こさせる。

 母の頭の上にも「しょぼーん」って文字が見えた。
 こういう漫画的な動きは母ゆずりなんだな…… と可笑しかった。

 歯医者さんが嫌なのはよく分かるけど、虫歯は治さないと悪化するだけだし、どうにか行ってもらいたいなぁ。
 親は泣き叫ぶ子どもを歯医者に連れて行ったりするのだから、子どもも親を無理にでも歯医者に連れて行くべきだろうか……
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:49| 家族 | 更新情報をチェックする

2015年03月31日

母親が可愛くなってきた

 80近くなり、母親が子どもに戻りつつある。
 一緒に街を歩いているとどんどん勝手な方向に進んでいってしまうし、工事しているお兄さんにいきなり話しかけたりする。
 スーパーでは刺身のパックを指でむぎゅっ(ダメッ!)
 今日は病院の待合室にある水槽をとんとん叩いていた(魚さんが怖がるでしょ!)

 認知症ではないのだけど、昔は自制出来ていたことが出来なくなっている感じ。
 好奇心のおもむくままにやりたいことをやってしまう。
 子育て気分が味わえてなかなか楽しい。

 80過ぎてモテ期が来た伯母(小)のように、母の可愛さもこれから加速していくのだろうか。
 人間の変化や成長は最後の最期まで見逃せない。
 すごいな。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:49| 家族 | 更新情報をチェックする

2015年03月15日

伯母(小)の猫嫌い

 うちの実家において「猫」は「禁じられた動物」だった。
 伯母(小)が猫嫌いだったのだ。
 それも桁外れに。

 猫を飼うことはもちろん、家族の会話に「ネコ」という単語を出すのさえ憚られた。
 猫のイラストの入った食器や文具も絶対に買わなかった。
 それらは邪教の神体のようなもので、家への侵入を許してはいけないのだ。

 外でもあまり猫とは関わらないようにした。
 それでも私は動物全般が好きなので、隣の家の猫に手をそっと伸ばしたら、噛まれた。
 やっぱり猫には近付かない方が良い、という思いを強くした。

 伯母(小)は何故あんなに猫を嫌っていたのだろう。
 彼女から猫嫌いの理由を聞いたことは一度もない。
 何しろ家で猫の話をしてはいけなかったのだから。

 語られることはなくても、伯母(小)の猫嫌いは我が家という存在の基礎だった。
 家族全員がその憎しみを前提にして暮らしていた。
 よくよく考えてみると奇妙な話だな。

 そんな家で育ったのに、私は猫嫌いにはならなかった。
 もちろん猫好きにもならなかった。
 何しろそれは私にとって、敵国(←どこ?)の国教の神様みたいなもの。

 ただ、いつの間にか周りが猫好きだらけになっており、猫のポストカードや雑貨が勝手に増えてゆく。
 ネットでも猫漫画や猫写真を毎日チェックしている。
 私は猫好きではなく「猫好き好き」なのだ。

 猫好きの人たちを見ていると、伯母(小)が猫を憎んでいた理由が分かる気がする。
 伯母(小)は猫が持つ不思議な力、魔力(魅力)に恐怖を感じていたのではなかろうか。

「それとも単に、前世がねずみだったの?」
 と伯母(小)に尋ねたら、額に5本くらいシワを寄せて睨まれるだろうな。
 猫を想起させる全ての会話が、この家では禁じられている。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:03| 家族 | 更新情報をチェックする

2015年03月11日

東京大空襲

 母は東京大空襲で家を焼け出されたのだけど、被害に遭ったのは3月10日ではない。
 住んでいた場所から考えて、たぶん4月13日だと思う。

(狭義の「東京大空襲」は1945年3月10日の空襲を指す。
 うちでは東京への空襲全体を「大空襲」と呼んでいた。
 日にちと場所を変えて100回以上あったらしい)

 伯母(大)は当時、母と別々に住んでいた。
 それなのに、空襲で逃げる話には必ず伯母(大)が登場する。

 どうも伯母(大)は、
「住み込みで働いていた場所で3月10日の空襲に遭い、実家に戻り、4月13日に再び焼け出された」
 みたいだ。
 伯母(大)は逃げるのも大変だったろうに、2回もよく生き延びたと思う。

 イギリスの作家ジョージ・オーウェルはスペイン内戦で首を撃たれたが、急所を外れて命を取り留めた。
 会う人会う人に「運が良かった」と言われたのに対し、
「そもそも運が良かったら銃で撃たれたりしない」

 伯母(大)も運が良かったんだか悪かったんだか……
 まあ助かって生き続けていて何より。

 空襲の話、細かい部分があまりはっきりしないんだよね。
 母の心に刻みつけられているのは爆弾と火への恐怖で、日付や家族がどうしていたかの記憶はぼやけている。
 小さい子どもだったのだからしょうがない。
 伯母(大)が認知症になる前に詳しく聞いておけば良かったな。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:22| 家族 | 更新情報をチェックする

2015年03月10日

自給自足一家

 うちの実家には2週間に1度お医者さんが来てくれる(在宅医療)
 看護師さんも一緒で、彼女が伯母(大)のカーディガンを褒めてくれた。

母「それ、○○(←伯母(大)の名前)が自分で編んだんですよ!」
看「ええっ どうやって?!」

 伯母(大)は目が見えないので、編み物が出来ると言うと必ず驚かれる。

私「指先の感覚で全部分かるんです。
  私が子どもの頃は、毎日伯母が作ったセーターを着て学校に行っていたんですよ。
  体を触って大きさを確認して、ぴったりのを編んでくれるんです」
看「すごい!」

 お医者さんは母が着ているチョッキを指さす。

医「これも○○(←伯母(大)の名前)さんが?」
母「いえ、これは私が編みました」
私「(マフラーを持ち上げて)これは私が編みました」
医「すごい! 自分で使う物は自分で作る! 自給自足!!」

 最近、手編みの物を身に付けていると妙に大騒ぎになることが増えた。
 編む人が減っているのかな? 
 昔はそんなに珍しいことでもなかったのに。

 そのうち、
「自分で料理を作れるの?! すごい!」
 と騒がれるようになったりしてな……

 ちなみに私は編み物を、母ではなく伯母(大)から教わりました。
 編むだけではなく教えることだって出来るのです。

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posted by 柳屋文芸堂 at 09:50| 家族 | 更新情報をチェックする

2014年08月24日

幸福な少数派についての話

 電車の前の席に、おそらく知的障害のある十代半ばくらいの女の子と、お母さんが座っていた。
 女の子はお母さんに腕をからませ、耳元に口を寄せて話しかけたり、一緒にスマホをのぞき込んだり、何だか恋人どうしみたいに見えた。
 お母さんはきっと苦労も多いだろうけど、とっても幸せなんじゃないかな、と思った。

 昔、ある医者が伯母(大)について、
「目も見えないし、死んじゃっても良いよね」
 というようなことを言った。
 あまりの失礼さにあっけにとられ、母と二人でゲラゲラ笑ってしまった。

 確かに母は伯母(大)のせいで苦労しているけれど、死んで良いとまでは考えていない。
「障害者も、障害者の家族も不幸」
 という世間の思い込みは強い。

 世界は基本的に多数派である健常者のために作られているので、障害者が困る回数は健常者よりずっと多い。
 でも「困る」がそのまま「不幸」になる訳じゃない。
 困ることで気付くことも沢山ある。

 障害者と障害者の家族は、世界についてより深く理解出来る。
 私は伯母(大)と共に暮らし、育ててもらったのを、心の底から感謝している。

 妙な思い込みがあるのは差別というより、障害者や障害者の家族について知らな過ぎるだけなんじゃなかろうか。
 「障害」を「障がい」にしよう、いや「障碍」だ、なんて表層的なことばっかり騒いでさ。
 ばっかみたい。

 障害者はどこにでもいます。
 幸福な障害者も。
 幸福な障害者の家族も、ね。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:45| 家族 | 更新情報をチェックする