2014年08月18日

Dちゃんの夏休み

 今回珍しくDちゃんはまともな時期にまとまった休みを取ることが出来ました。
 お盆は働いて12月に夏休み、とか訳の分からないことになる方が多いからね……

「この休みは大掃除をするよ!」
 と、私一人だとなかなか難しい、ガスコンロの下とか(ガスコンロを持ち上げるのが大変)ガスコンロの上とか(手が届かない)ベッドの下のぞうきんがけとか(ベッドを動かさなければいけなくて、二人じゃないとムリ)あちこちの掃除をしてくれました。

 37年生きてきてつくづく思うのだけど、
「大掃除と引っ越しは夏にやらない方が良い!」
 体がドロドロになるから。
 引っ越し屋さんの汗まみれになった家具や電化製品を拭いて回った夜を思い出す……

 年末に大掃除、というのはうまく考えられている習慣だなー と思う。 
 Dちゃんは年末年始の休みはなくて、元旦から仕事だった。
 会社は社員の家の大掃除のことも少しは考えて欲しい。

 掃除の他は「ダンガンロンパ」というゲームをやっていたようです。
 ドラえもん(大山のぶ代)とシンちゃん(緒方恵美)の声が聞こえてくるので気になってしょうがない。
 ドラvsエヴァというパロディ小説を思い出したよ(これ
 懐かしいなぁ。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:29| 家族 | 更新情報をチェックする

2014年08月10日

昨日の記事の追記

 昨日の記事を書いた後に気付いたのだが、当時、目の見えない人たちは「走る」という経験をほとんどしたことが無かったのかもしれない。
 盲人マラソンに伴走者が必要なように(日本盲人マラソン協会のサイトに説明があった。こちら
 特別な配慮がないと、目の見えない子どもが走り回って遊ぶのは難しいのだろう。

 伯母(大)の息切れや友人の転倒が「走る経験の不足」から起こったとするなら、目が見えないためにより一層不利な立場に置かれたということになる。
 災害時にも同じことが起こる訳で、障害者スポーツって大事ですね。

 まあ、実際は転んだ方が助かったりするのだから、人生分からないけど。
「空襲の前に、避難訓練もしたよ」
 伯母(大)は笑いながら言う。

「あんなのは何の役にも立たないね。
 爆弾が落ちてきたら、ただムチャクチャに逃げるだけだ」
posted by 柳屋文芸堂 at 11:23| 家族 | 更新情報をチェックする

2014年08月09日

ささやかな、戦争の話

 目の見えない人が空襲の中どう生き延びたか、ご存知でしょうか。

 ここにも何度か書いた気がするけど、私は戦争の話があまり好きじゃない。
 毎年八月になって、「戦争を語り継ごう」みたいな番組がラジオで流れると、
「はー またこの季節か。やれやれ」
 とスイッチを切る。

 私を育てた母、伯母(小)、伯母(大)は、東京大空襲の時に家を焼け出された。
 幼かった母(当時8歳)は特にショックが大きかったようで、私は毎日のように空襲の話を聞かされて育った。
 私の心の中にある街は、燃えているのが基本だ。
 にょきにょき高く伸びたビルも、すたすた歩く人々も、全て「かりそめ」という感じがする。

 戦争の話はお腹いっぱい。
 あ、でも、変わった視点から戦争をとらえ直す作品は割と好き。
(水木しげる「昭和史」、こうの史代「この世界の片隅に」、 近藤ようこ「戦争と一人の女」とか。
 って漫画ばっかりだな……)

 平凡な戦争体験談は母から十分聞いたのでもう結構です。
 「語り継ごう」なんて気持ちも全くない。
 ほんと、特別なところなんて何もない、ありふれた悲劇なんだもの。

 ……と思っていたのだけど、一つだけ珍しい点があることに気付いた。
 母は焼夷弾の降り注ぐ中、全盲の伯母(大)の手を引いて逃げたのだ。

 伯母(大)は必ず誰かに手を引いてもらわないと移動出来ない、という訳じゃない。
 戦争が激化する前は浅草で働いており、
「道が綺麗で、とっても歩きやすかった。あの頃は車も今みたいに走ってなかったし」
 とのこと。杖一本だけでやっていけたのだろう。

 空襲となったらそうはいかない。
 母は伯母(大・当時19歳)の手を引き、布団を背負った伯父(当時10歳)と3人で逃げた。
(どうでも良いが、この時伯母(小)が何をしていたのか全然知らない。
 家族全員一緒ではなかったようだ)

 伯母(大)は一応大人ということで、沢山の荷物を持たされていた。
「でも全部逃げてる途中で放り出しちゃったのよ!
 ハァハァしてたから、苦しくて持っていられなくなったのね」

 目の問題ではなく、単に体力がなかった。
 まあ荷物に気を取られて死んじゃったら元も子もない。
 無事で何より。

 母たちの話より、伯母(大)が友人から聞いた体験談の方が興味深い。
 その人も全盲で、やはり兄弟か親戚か、手を引いてもらって逃げていた。
 しかし何かの拍子に転んでしまい、その手を離してしまった。

 都市の人間がいっせいに走って逃げているのである。
 二人は再び手をつなぐことは叶わず、そのままはぐれてしまった。
 全盲の友人はそれでも何とか逃げ切ったが、手を引いていた人とはその後、二度と会えなかった。

 目の見えない、転んだ人が助かり、
 目の見える、転ばなかった人が死んでしまう。

 教訓話のようだが、単なる実話である。
posted by 柳屋文芸堂 at 22:55| 家族 | 更新情報をチェックする

2014年07月03日

伯母(小)の命日(だった……)

 もう過ぎちゃったけど、7/2は伯母(小)の命日でした。
 伯母(小)について書いた記事のリンクを貼っておきます。
 真の栄誉をかくし持ち、静かにいなくなってしまった、小さな小さなおばあさん。

 伯母(小)のこと
 戒名のこと
 伯母(小)エピソード
 伯母(小)の大根サラダ
 伯母(小)の思い出
 伯母(小)のモテ期
 ステキな△

 あなたは確かに存在していました。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:35| 家族 | 更新情報をチェックする

2014年05月05日

不謹慎

 大きな地震が来て、部屋がぐらぐら揺れている中、寝床でDちゃんにギューッと抱きつくと本当に幸せ。
 別にこのまま死んでもいいや、って気持ちになる。
posted by 柳屋文芸堂 at 22:13| 家族 | 更新情報をチェックする

2014年04月18日

伯母(大)の作品、続き

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↑これもカーディガン

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↑模様が入っている(写真は背中の部分)

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↑キューピーにも手作りの服を着せている

 全盲の人の作品、と発表されたが、実は見えていた。
 という言葉が思い浮かんで笑ってしまった。
 見えたり聞こえたりしたら、おめでたいじゃないの。

 子どもの頃は毎年、初詣の時に、
「おばあちゃん(←伯母(大)の呼び方)の目が見えるようになりますように」
 と神様にお願いしていた。
 治るようなものじゃないと知ったのはずっと後のこと。

 でも、伯母(大)は私のことを見ていた。
 誰よりもしっかり見ていた。
 全盲の人に見つめられながら育った人ってそんなに沢山いないよな、と思うと、とてつもない宝を手にしているような幸福を感じます。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:13| 家族 | 更新情報をチェックする

2014年04月14日

脳からもれてる

 森林公園の木には名前を示すプレートが付いている。
 [アカマツ][コナラ]という感じに。

 サイクリングの後、木立を眺めながら歩いていると、
[ネギ]
 というプレートのかかった木を見つけてびっくりした。

 ええっ?!
 と思ってよく見ると…… [スギ]だった。
 アホな勘違い、と思ってDちゃんにそのことを話そうとしたら、

「今、ネギって読んだでしょ」
「なんで?! まだ話してないじゃん!!」
「いや、口に出さなくても、のりからネギが伝わってきた」
「考えていることが外にもれてるの? 私の脳……」

 以心伝心というやつでしょうか。
 最近Dちゃんに心を読まれることが本当に多い。
 そのうちテレパシーだけで意思疎通するようになっちゃうのかも。
 夫婦って恐ろしい。
posted by 柳屋文芸堂 at 22:41| 家族 | 更新情報をチェックする

2014年04月03日

優しく大きな声を出す練習

 下の記事に書いた伯母(大)ですが、最近すっかり耳が遠くなってしまった。
「大きな声で話そうとすると、どうしても怒鳴るみたいになっちゃって。
 そうするとお姉さんも不機嫌になるから……」
 と悩む母。

 三年前に亡くなった伯母(小)も耳が遠くて、意思の疎通が大変だった。
 ついついケンカ腰っぽくなっちゃってね。
 聞こえないのは本人のせいじゃないのに、責められているような気持ちになって辛かっただろうと思う。

 しかしやってみると分かるけれど、優しく大きな声を出す、ってけっこう難しい。
 普通、怒りでもしないと大声って出さないからな。

 私は耳の遠い人と話す場合、狂言の舞台を思い出すようにしている。
 大きく、ゆったり、それでいて幼稚な雰囲気ではなく、祝祭空間を作り出すような、大声。
 福の神になるのだ。

 これからの高齢化社会に向けて、練習しておいて損はないと思う。
 耳が聞こえにくい、というのは特別なことではなく、年を取ると多くの人がそうなるのだから。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:35| 家族 | 更新情報をチェックする

2014年04月02日

編み物と、編んだ手

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(撮る前にホコリをはらうべきだった……)

 寒い季節の間、私は自分で編んだマフラーを巻いて外出するのだけど、この冬は特に行く先々で、
「それ手編み? すごいですね〜」
 と妙に褒められた。
 最近はあまり編み物をする人がいなくて、珍しいのかしら。

 私のマフラーは基本の編み方(ガーター編み)でまっすぐ作っているだけだから、メチャクチャ簡単なのだ。
 じっくり見られたりすると、
「こんなので騒がないで!!」
 と恥ずかしくなってしまう。

 それでふと、伯母(大)の作品をみんなに見てもらいたい、と思った。
 上の写真は手編みのカーディガン。
 編み方を途中で変えて、模様を入れてあるの、分かるかな?
 もちろん体に合わせて曲面にしなければいけないから、マフラーよりずっと難しい技術を使っている。

 伯母(大)は全く目が見えない(全盲。目をつむった状態と同じ)
 これを指先の感覚だけで編み上げたのだ。
 さらに凝った模様入りのものなど、手編みの作品を数十着は持っている。
 古くなって捨てたものも含めたら、おそらく数百着。

 褒めるならこういうのを褒めて、と不器用な姪は思うのだ。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:43| 家族 | 更新情報をチェックする

2014年03月29日

あったかぼっこ

 三年前に亡くなった伯母(小)はカイロ(「はるオンパックス」みたいなの)を、
「あったかぼっこ」
 と呼んでいた。

 私はそれを伯母(小)が勝手に作った言葉だと思っていて、可愛いな〜 と自分でも使い続けていたのだけど、今調べてみたら、方言だった!
 カイロではなく、日向ぼっこのことらしい。
 栃木や千葉など広い範囲で使われているみたいだから、関東方言?

 伯母(小)は日向ぼっこを腰に貼ってたんですな。
 ポカポカ。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:32| 家族 | 更新情報をチェックする