2012年06月24日

スターウォーズのトライアングル

 この間、ラジオからスターウォーズのメインテーマが流れてきた。
(NHK-FMの音楽遊覧飛行
 私はこの曲を聴くと、高校の時に好きだったM先輩を思い出すのだ。

 M先輩は、いつも髪振り乱して楽器(パーカッション)の練習に没頭していた。
 第一印象は「吹奏楽オタク」
 楽器以外のものに視線を向けるのかさえ分からなかった。

 私はコントラバス担当だったのだけど、入部後すぐの定期演奏会は、パーカッションで出ることになった。
 ギロやマラカスなど、間違っても問題にならないような「にぎやかし役」のつもりだったのに、何故か映画音楽メドレーではトライアングルを鳴らすことになった。

 この曲はスターウォーズのメインテーマで始まる。
 初っ端にトライアングルの「リリリリリリ……!」って大きな音が入るの、分かります?
 昔の電話のベルみたいな。
 にぎやかし役がやるには、ちょっと重要過ぎる。

 こりゃ失敗出来ないな、とは思ったものの、私は楽器演奏の場であがったりしない。
 和太鼓を習っていたから、舞台に慣れているのである。
 しかしM先輩は新入生の私をとても気遣ってくれた。

「柳田さん、緊張しなくていいからね」
 長い前髪を両手でかき分け、こちらをまっすぐ見る。
 そこには驚くほど綺麗な瞳があった。
 くりんと大きく、少し潤んでいて、女の子みたいに可愛らしい。

 全然興味のなかった先輩が、キラキラ光って見えた。
 
 トライアングルの高い音が頭の中で響く。
 恋の始まりを告げるように。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:08| 思い出 | 更新情報をチェックする

2012年05月16日

音は周波数が小さくなるほど低くなります

 私の声は、女にしてはかなり低い。

 大学で、自分の声の周波数を計測する物理実験があった。
 確かオシロスコープという実験機器の使い方を覚えるのが目的だったと思う。
「あ〜」
 と発声して波形を画面に出し、方眼紙に写す。
 そこから周波数を計算して提出すると、先生は渋い顔をした。

「おかしいですね。間違ってますよ」
「えー どこがいけないんだろう」
「女性の声がこんなに低い訳がない。1オクターブくらい違ってますよ」

 計測はきちんとやれていたし、計算の間違いもないのだ。
 おかしい、おかしくない、と押し問答を繰り返していると、同じクラスのHくんがやって来た。

「先生、その周波数は間違ってないと思います。
 柳田さんの声を聴いて、僕は実験室にダークダックスが来たのかと思いました」

 その言葉で、先生はしぶしぶ私のレポートを認めてくれたのでした。
 なんて親切なHくん。
 何度思い出しても、座布団1枚あげたくなるよ。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:03| 思い出 | 更新情報をチェックする

2012年05月15日

東京ドーム1個分

 私の通っていた大学は、後楽園駅のすぐそばにある。
 一年生の時は水道橋駅を使っていたので、毎日、東京ドームの横を通った。
(水道橋駅→東京ドーム→後楽園駅→大学 で徒歩15分くらいかな)

 東京ドームは、裏側にも通路があるのをご存知ですか。
 表の広場みたいな道ではなく、小石川後楽園に接している方。
 細くて人があまりいないので、彼氏(Dちゃんではない)と歩く時はよくそちらを選んだ。
 途中で体を触られたり、抱き合ったり、それをクラスの男子に目撃されたり。
 若いねぇ。

 そんな風に仲良しだった彼氏との関係も、秋の終わりくらいからだんだん雲行きが怪しくなってきた。
 些細なことですぐ喧嘩になるのだ。

 季節はもう冬だったと思う。
 後楽園の駅ビルに入っているマクドナルドで、彼氏は私の「食べ方が気に食わない」と文句を言い始めた。
 確かに私の食事の仕方は全然上品じゃない。

 いったいどんな食べ方をしたら納得してもらえるのだろう。
 なるべく口を大きく開けないようにしたり、あまりもぐもぐしないよう気を付けたり。
 そのうち食べ物の味がよく分からなくなってきた。

 私はその場にいるのに耐えられなくなり、彼氏がゴミを捨てに行っている隙に走り出した。
 とりあえず水道橋駅へ。
 裏道に行く理由もないので、表の道をひた走る。

 その日、東京ドームは閑散としていた。
 邪魔するものは何もないので全力疾走。 
 勝手に涙がポロポロこぼれて、気が付くとエーンエーンと大声上げて泣いていた。

 彼氏は私を追いかけてきてつかまえた。
 一人で帰ってしまうつもりだったのに。
 幼稚園児みたいになっている自分がひどくみじめだった。
 なんで私たちは一緒にいるんだろう?

「▲▲はどうして私を好きになったの」
「のりちゃんと一緒にいたら楽しいだろうな、って思ったから」

 東京ドーム半周を泣きながら全力疾走するなんて、なかなか楽しい女じゃないか!
 と思えるのは別れて18年経った今だから。
 こんな泣いてばかりの女と一緒にいても全然楽しくないよね。
 文句を言う彼氏が悪いのか、文句を言われてしまう私が悪いのか、ついに最後まで分からなかったけど。

「東京ドーム○○個分」
 という言い回しを聞くたびに、私は微笑んでしまう。
 それ得意。ばっちり分かる。
 裏の道も表の道も、ちゃんと体で測ったからね。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:43| 思い出 | 更新情報をチェックする

2012年03月16日

小泉元首相そっくりのおばあさん

 伯母(小)の最後の入院の時の話。

 救急車で運ばれた伯母(小)は、とりあえず大部屋に入ることになった。
 伯母(小)は耳が遠いので、どうしても大きな声で話しかけなければいけない。
 他の患者さんに迷惑をかけてしまうな…… と心配していた。
 しかし、私たちの会話なんて問題にならないほど、やかましい人たちがいた。

 おばあさんと、息子。
 息子はおばあさんの夕食の介助をしているのだが、うまく食べられないのに腹を立てて怒鳴っている。
「あーあ、余計なことばっかりして!」
 おばあさんの方を見ると、小泉元首相そっくりで驚いた。
 眼光鋭く、息子に怒られてしょぼくれるようなタイプではない。
 何を言われても悠然としており、だからまた息子が怒鳴る。

 彼らがうるさかったおかげで、周囲を気にせず伯母(小)との最後の会話をすることが出来た。
(といっても、もうほとんど話せなかったのだが)

 翌朝、急変の知らせを受けて病院へ。
 伯母(小)は個室に移されていた。
 別室で医者から説明を受けたり、酔っぱらい母に電話したり、病室で伯母(小)の手を握ったり、けっこう病院内を移動した(詳細はこちら

 ふと見ると、昨日の小泉ばあさんと息子がナースステーションの前の椅子に座っている。
 息子は相変わらず大声を上げていて、おばあさんはうさぎのぬいぐるみを握っていた。
 おばあさんとぬいぐるみ。
 可愛らしくも切ない光景になるはずが、何故か全然そうなってない。

 何しろおばあさんは小泉元首相そっくりなのである。
 そして握り方が強く、ギリギリギリとぬいぐるみに指が食い込んでいる。
 おばあさんはうさぎの目を鋭く見つめ、人差し指をサッと息子に向けた。
「行け!」
 唸るような低い声。

 あのおばあさん、息子にぬいぐるみをけしかけようとしてる……!

 こんなにしょっちゅう見舞いに来るということは、仲が悪い訳ではないはず。
 母と息子の間にある愛憎が、妙に可笑しい。

 こんなことがあってね、と伯母(小)にも話したかったがすでに昏睡状態で、そのまま亡くなってしまった。

 数日後、伯母(小)の入院費の精算のために再び病院を訪れると、出口近くに小泉ばあさんと息子がいた。
 おばあさんは可愛い夏服を着て、大きな帽子をかぶっている(※7月の話)
 退院するのだ。

 回復して良かったですね。
 なるべく長く、お元気で。
 私は心の中だけで呼びかけた。

 息子は今日は怒鳴っていない。
 おばあさんの横で静かに座っている。
posted by 柳屋文芸堂 at 00:30| 思い出 | 更新情報をチェックする

2011年09月26日

伯母(小)の思い出

 死んでしまった人の体は、もうこの世界に無い。
 でも、思い出はいつまでも残しておくことが出来る。
 油断していると忘れてしまいそうな、たわいない話を記録しておく。

 伯母(小)はスーパーで買い物するのが大好きだった。
 しかし最後の1年半は体力が無くなって自分では行けなくなり、仕方なく人に頼むことに。
「何でもいいよ」
 と言いながら、注文がとんでもなく多い。

「のり子、良い豚肉の見分け方は分かるか」
「さあ……」
「赤い部分の多い肉が良い肉なんだよ」
「あー 脂が少ないのね」
「そんな肉はどこにも売ってないんだよ……」
「じゃあどうすればいいの!」

 きっと私や母が買ってきた肉を見て、自分で選べないのを歯がゆく感じていたんだろうな。
 伯母(小)は売り場の全てのパックをチェックしますからね。
 さらに買い物が済んだ後もう一度売り場に戻って、自分の買ったものが最上だったか再確認しますからね。

 あまりにも買い物に時間がかかるので、付き添う母は、
「もうやめてー!!」
 と音を上げることがたびたびでした。

 こういう小さな思い出を忘れてしまうのは、宝石を捨てるようなものだ。
 誰も欲しがらないかもしれない、私だけの宝石。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:25| 思い出 | 更新情報をチェックする

2011年01月24日

忘れないで欲しい

 高校時代に好きだった、M先輩の話をしよう。
 M先輩は同じ吹奏楽部で、パーカッションを担当していた。

 今思うと本当に不思議なのだけれど、それは私にしてはびっくりするほど精神的な恋だった。
 性欲は今以上に、バカみたいに、あったはずなのに。
 M先輩をそういう欲望の対象とするのは、罪深いことのように感じていたのだ。

 高校一年の六月に好きになって、次の年のバレンタインに告白した。
「今は女の子と付き合うことを考えられない」
 と断られたのだが、私はショックというより変な気持ちだった。
 付き合ってもらいたいなんて考えてなかったから。

 希望はただ一つ。
 私のことを忘れないで欲しかった。
 大勢いる後輩の一人でいるよりは、告白をした方が記憶に残るはず。
 必死だった。
 
 私はコントラバスを担当していたので、音楽室で合奏がある時は、まず大急ぎで自分の楽器(ものすごくデカい)と専用の椅子(ものすごく重い)と譜面台を運び、その上で打楽器置き場に行き、
「手伝いますっ!」
 告白するまで先輩は全く私の気持ちに気付かず、
「柳田は重い物を持つとアドレナリンが出るんだねぇ」
 などとのんきに感心していた。

 念願叶い、先輩とティンパニを運んだことがあった。
 三階の音楽室まで二人きり。
 勉強も生活も上手くいかず、不満だらけの高校時代、あの瞬間だけ周囲が輝いて見えた。
 あんなに幸せな時間はなかった。

 先輩は私のことを…… たぶん覚えていると思う。
 結婚後にも年賀状を出したりしたから。
 でもきっと、
「すごく変な後輩がいた」
 みたいな記憶になっていて、告白のことは忘れているかもしれない。

 急にばったり出会ったら、絶対今でもドキドキする。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:59| 思い出 | 更新情報をチェックする