2017年06月04日

春巻きっ!

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 今晩のおかずは春巻きでした。
 私が中身を作って巻いて、Dちゃんが揚げてくれた。

 調理を始める前にDちゃんから、
「まんぷくになっているのりが見えるよ……!」
 と言われて、現在予言通りまんぷくで動けません。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 22:05| 料理・食べ物 | 更新情報をチェックする

2017年05月30日

こうの史代「この世界の片隅に」原画展感想

 タワーレコード渋谷店で開催中の「この世界の片隅に」原画展に行ってきました〜
 最終日の前日でしたがそれほど混んではいませんでした。
 コミティア実行委員会が贈ったお花が入り口に。

 こうの史代が「この世界の片隅に」を描く時に実際に使用した画材の展示に大興奮。
 Gペン、丸ペン、筆のような漫画家さんなら誰でも使うようなものから、
 鳥の羽根、口紅、紅筆、リップライナーまで。

 私はこの漫画を何度も読み返したのだけど、気付いてないことがけっこうあった。
 第41回りんどうの秘密(20年10月)のリンさんの場面が、口紅とリップライナーで描かれていたとは!
 本では黒インクで印刷されているから黒い線。
 原画では真っ赤で、特にりんどうの妖艶さがリンさんの姿そのもので。

 漫画の中ですずさんが鳥の羽根で描いた絵は、本当に鳥の羽根を使って描いたそう。
 作中で使われた画材のタッチをなるべく忠実に再現しようとしたのだと分かった。
 真っ正直にこの作品ならではのリアルさを追求することが、同時に漫画表現の実験にもなっている。
 単なる思いつきではなく、伝えたいことを伝えるための実験。

 呉沖海空戦の時にすずが追いかける鷺は、現実なのか、すずが頭の中で作り上げた非現実なのか分からないので、鉛筆で描かれている。
 今いる呉の風景がペンで、帰りたい故郷の風景が鉛筆で描かれ、同じページに収まっている。

 この場面、漫画と映画では全く意味が違っていた。
 漫画ではリンさんの存在が大きいから、すずさんが愛と嫉妬で苦しむ修羅場。
 映画では鷺=昔好きだった男(水原さん)の方に行こうとするすずさんを、周作さんが取り戻そうとする、という気持ちの方が強く出ていた。
 私はどちらも大好きだ。

 第35回(20年7月)以降、背景が全て左手で描かれているというのも、そうだろうなとは思っていたけど、公式の場で書かれるとまた深く感じるものがある。

 会場ではコトリンゴの映画の音楽がずっとかかっていて、全部見終わったところで極めつけの「たんぽぽ」
 ひーっ 泣いちゃうだろ!!
 壁に貼られた大きな寄せ書きにはやたら上手いKUSUNOKI公が。

 展示は5月30日(火)つまり今日の18:00まで(最終入場17:30)
 間に合う方はぜひ。
 また別の会場でも開催してもらえたら良いね。

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス) -
この世界の片隅に 上 (アクションコミックス) -
posted by 柳屋文芸堂 at 11:42| 美術 | 更新情報をチェックする

2017年05月28日

映画「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」感想



 簡単に言ってしまえば、
「おじいちゃんが荷物でいっぱいの部屋でゴソゴソしてる」
 だけの話なんですけど、もう最初から最後まで泣きっぱなしだった。
 だってそこにあるのはまさしく「人生」だから。

 積み上がった箱の中には、プリントやフィルムが詰まっている。
 片付けるつもりなのか、映画監督に見せるつもりなのか、ソールじいちゃんは箱を引っ張り出して中身を確認する。

 街角のささやかな風景。
 道ゆく人々のやわらかな影。
 愛し合う家族。

 曖昧で美しい記憶はあちこちに散らばりまとまることはなく、どう考えても死ぬまでにこの部屋が綺麗に整頓されることはなさそうだ。

 まるで可視化された魂のような部屋。

 おじいちゃんの部屋にあった写真は現在、渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで展示されている。

「写真は、しばしば重要な出来事を取り上げるものだと思われているが、実際には、終わることのない世界の中にある小さな断片と思い出を創り出すものだ」
(ソール・ライター展の公式サイトより引用)

 評価なんて気にせずに、自分が「良いな」と思ったものを心に溜めてゆこう。
 自然とそんな気持ちになれる映画だった。

パンケーキ.jpg
↑コラボメニューのバナナウォルナッツパンケーキ
posted by 柳屋文芸堂 at 00:52| 映画・映像 | 更新情報をチェックする

2017年05月25日

ガラスの向こう側(「怒り」二次創作)

「落ち込んでいるかと思ったのに、今までで一番幸せそう」
 アイスティーの氷をカラカラとかき混ぜながら、薫は茶化すように言った。

「優馬は堂々としてるんだ。一緒にいると、自分まで強くなった気になれる」
「病気の話はしたの?」
 直人は首を振った。
「話したら、何もかもが終わってしまう気がする」

 いたわりで、抱く手を緩められるのが嫌だった。
 最後の最後までこの心臓を高鳴らせて欲しい。

「優馬さんなら受け入れてくれるんじゃないの?」
「優馬じゃなくて俺の問題だから」
「でも、具合が悪くなった時に」
 直人は再び首を振る。

 異変を感じたら、優馬の家を出るつもりだった。
 死よりは別離の方が優馬を苦しめない。
 直人はそう信じる他なかった。

* * * * * * * * *

 吉田修一「怒り」から二カ所引用する。

「ずっと隠れて生きていくしかないと思ってたけど、今、一緒に暮らしてる優馬さんはそうじゃないって。堂々としてるんだって。一緒にいると自分まで強くなった気になれるって」

「直人は一度も病気の話をしてくれなかった。話せば、何もかもが終わってしまう気がすると言っていたそうだ」

 どちらも伝聞の形で直人の言葉が語られているのだが、矛盾というか、何か引っかかるものを感じませんか?
 優馬がそんなに堂々とした人間であるならば、何故、病気の話をしたくらいで「終わってしまう気がする」のだろう?

 実際のところ優馬は堂々とした人間などではなく、その臆病さから被害妄想に駆られてどつぼにはまっていくのがこの物語の見せ場だったりするのだけれど、果たして直人は優馬の実態をどれくらい理解していたのか。
 簡単に思い付く可能性は二つ。

1、優馬が臆病だということは知っていたが、薫には優馬の欠点を言いたくなかった
2、優馬は堂々とした人間だと本気で信じていた

 2はない気がするよね……
 1であるとしたら、そんな臆病な優馬と「一緒にいると自分まで強くなった気になれる」のは何故か?

 直人は自分の気持ちを正確に理解していなかった、という風にも考えられる。
 優馬が「堂々としているから」と認識しているが、
 本当は「臆病な優馬を支えているから」自分まで強くなれていた。

 吉田修一が〆切に追われて適当に書いた、というのが一番の正解のようにも思うが、現実の会話はまさに〆切直前の小説家のタイピングのような「とっさの一言」の積み重ねだ。
 整合性が取れている方がおかしい。

 朝井リョウは吉田修一のことを、

「論理的には矛盾しているように感じても、感覚的には正しい」物語を書く作家

 と評している(映画「怒り」パンフレットより引用)

 直人という人物が持っている不明瞭さが、私には現実の人間のようにリアルに感じられる。
 その曖昧さを表情の淡い明暗で表現した綾野剛は、一瞬で恋してしまうほど美しかった。

 優馬と直人の関係も単純じゃなくて好きだけれど、直人と薫のこともよく想像する。
 この記事の最初に書いた300字小説は、私なりの仮説。
 説としてはちょっと弱いかなと思いつつ、空白の埋め方は自由なので。

 薫は原作では名前もないのに、映画版では「直人のことを好きだった時期があった」という裏設定まであって、何しろ高畑充希だから目がくりくりしてて可愛いし、ドコモのCMでは先輩後輩だし。

 映画で薫が飲んでいるのは、アイスロイヤルミルクティーではないかと。
 直人はオレンジジュースですね。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 15:05| ショートストーリー | 更新情報をチェックする

2017年05月24日

不滅の3人組

 私は実家でいつも通りの時間を過ごしている。
 ふわふわと太っている伯母(大)にくっついて昼寝をしたり、
 細々と立ち働く伯母(小)が作ってくれたごはんを居間のちゃぶ台で食べたり。

「あれ? 伯母(小)は亡くなったんじゃなかったっけ?」
 気付いた途端、伯母(小)の姿は消えてしまった。

 のどが痛くなるような大声で何度も伯母(小)の名前を呼ぶ。
 母は不思議そうに、
「もういないわよ」

 目が覚めてしばらくしてから、伯母(小)は6年前、伯母(大)は半年前に亡くなったのだと思い出した。
 私が気付きさえしなければ、母・伯母(小)・伯母(大)の3人は、夢の中で当たり前のようにセットで生きている。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:58| 夢(寝ながら見る方) | 更新情報をチェックする