2018年02月24日

熊本旅行記(2日目 阿蘇)

熊本旅行記(1日目)の続き)

2018年2月14日
 ホテルの朝ごはんは、もやしと豚肉を蒸したものと、地元で採れたという苦みのあるレタスが美味しかった。辛子れんこんもあり、こちらに来て初めて熊本らしいものを食べた。



 春節が近いため、周りはみんな中国語だ。

 食後、外に出て写真を撮った。
「空が近いね」
 とDちゃんが言う。



 確かに、山の斜面に雲がかかり、歩きで雲の上まで行けそうだ。



 部屋に戻って、窓からぼーっと阿蘇の景色を眺めていたら、
「旅行に来る前の私は、何であんなに追いつめられていたのだろう」
 と不思議に思った。やらなければいけないことは沢山あるのに、やる気が起きなかったり眠かったりで、てきぱきと動くことが出来ず、落ち込んでいた。

 ここではまずやらなければいけないことがないし、いっぱい寝られるし、ただ無心に山や畑を見つめているだけで楽しい。冬の阿蘇は想像以上に寒く(南の方にあるから関東より先に春が来ていると勘違いしていた)温泉好きでもなければ「何しに来たの?」という感じではあるのだけれど、やっぱり来て良かったと思った。

 昼は昨日とは違う郷土料理のお店「ひめ路」に向かった。ホテルから二キロほど離れている。阿蘇の店や道は明らかに車を持っている人用に出来ていて、車なしの我々はなかなか大変だ。しかし裏道を歩くと、家並の途切れた空間など、あちこちから美しい山が現れて素晴らしい。雪化粧された山肌が日に当たり、薄紅色に光っている。心なごむ眺めだった。





 ひめ路には開店前に着いた。



 昨日のことがあるから、まず営業しているのかが気になった。



 おっ、灯りが点き、開店の準備をしている様子! 入り口の横で待っていた我々にお店の人が気付いてくれて、開店時刻の前だというのに中に入れてくれた。ホテルから歩いてきたと言うと驚いていた。駅からも遠いし、普通は車で来るより他ない場所だ。

「ふお〜 ようやく食べられる〜!」
 だご汁と高菜めしの定食がテーブルにやって来た。



 だご汁にはカボチャ、ごぼう、にんじん、里いも、しめじ、青ネギに、ぴらっとしたすいとん(小麦粉のだんご。だご)が入っている。優しいみそ味で、だしが主張する訳ではないのにしっかり美味しい。私は家でよく高菜チャーハンを作るのだが、ここの高菜めしはそれよりも、高菜の酸味を利かせている。小鉢の味も良く、素朴ながら最高の阿蘇ごはんだった。

 再び裏道を二キロ歩いてホテルに戻り、預けていたスーツケースを受け取って駅まで一キロ歩く。

 途中、鳥など動物の形に刈り込まれた植木が無数に並ぶ家があった。
「村上春樹の熊本旅行記にも、こういうのが出てきたな。この辺りではやる人が多いのだろうか」
 とぼんやり通り過ぎてしまった。後で調べてみると、どうやら村上春樹が見たのと同じ人だったらしい(苗字が一緒)村上春樹オタクとしての聖地巡礼だったのに、その場では気付かなかった。うう。

 道の駅に寄り、ソフトクリームを食べる。濃いのとさっぱりしたのと二種類あって選べるのだが、残念ながら濃い方は品切れ中だった。さっぱりした方も悪くない。

 阿蘇駅で荷物をコインロッカーに入れ(スーツケースが収まる大きさで助かった)「olmo coppia」というカフェを目指す。

 阿蘇の特徴はとにかく360°山に囲まれていて(外輪山と火口のある中心部)ある程度高さのあるところからならぐるーっと一周、山が見える。




↑Dちゃんがスマホのアプリを使って全方向撮影してくれた。

 こんな景観は初めてで珍しく、何度もくるりくるり回って周りを見渡した。

 olmo coppiaは田畑と住宅地の間にある。



「何故ここにこんな店が?」
 と首をひねってしまう程おしゃれだった。



 東京でもこんな素敵なカフェはそうそうない。

 二人でホットジンジャーエールを頼み、Dちゃんはガトーバスクというケーキも食べた。パイナップルのジャムが挟まったタルトで、添えてある金柑のコンポートが特に美味しかったそうだ。





 何だか今日は食べ物運が良いぞ、私たち。

 この店には暖炉があり、時々たき木がぱちっとはぜた。





 エアコンの生活は本当に便利なのだろうかと疑い始めるほど暖かい。本物の火が、体の芯までじわーっと暖めてくれる。お店の人も親切で可愛らしかった。

 駅に戻る高台で、360°山の眺めを名残惜しんだ。こういう土地で育つと、山に守られている気持ちになるのだろうか。山に阻まれてどこにも行けないと絶望するのだろうか。地形はあまり関係ないのだろうか。

 阿蘇五岳はブッダの涅槃像にたとえられるという。
「あの山が顔で、仰向けになっているんだね」
「ブッダがぐーすかーって上向いて寝てるの? 横向きでしょ?」
 とDちゃんは言う。どっちなんだろう。



 熊本市へ向かうバスは、昨日のうちにDちゃんがスマホで予約しておいてくれたので、無事に乗ることが出来た。
 阿蘇の山と別れるのが寂しかった。

熊本旅行記(2日目 熊本市)に続く)
 
posted by 柳屋文芸堂 at 13:34| 旅行・お出かけ | 更新情報をチェックする

2018年02月21日

熊本旅行記(1日目)

2018年2月13日
 熊本に行ったこともないのに、熊本出身の主人公が出てくるお話を思い付いてしまったのは、三年ほど前だっただろうか。その小説はまだ書き終えていない。私はずっと、頭の中だけに存在する架空の熊本で暮らしている。実在の熊本には一生行けないような気がしていた。

 羽田を発ち、阿蘇くまもと空港に着いても、本当に熊本に来たのか、信じられないような気持ちだった。体調を崩すとか、交通機関が麻痺するとか、とにかく何かに阻まれて熊本にはたどり着けないと思っていた。私にとって熊本は、ロード・オブ・ザ・リングの中つ国のような「物語の中の世界」なのだ。

 私の混乱などお構いなしに、空港はくまモンだらけである。



 東京ではなかなか買えない熊本名物「いきなり団子」もあちこちで売っている。さつまいもとあんこを餅で包んだ素朴なお菓子で、日持ちしないのが難点だが、冷蔵庫に入れておけば明日も食べられると聞き、三個購入した。

 空港から阿蘇駅近くのホテルまでバスで移動するつもりだった……が! なんということ! 満席で乗れなかった! 次の便が来るのは一時間以上先だという。仕方なくタクシーを使うことにした。運転手さんは朴訥としたおじさんで、余分なおしゃべりはほとんど無かった。それでも少しだけ熊本弁を聞くことが出来たので嬉しかった。

 地震の被害が酷かった益城町を抜け、タクシーは坂道を登ってゆく。地震から二年近く経つが、通行止めの道路がまだ残っている。我々が進んでいるのは迂回路らしい。よく整備された道で、ガタつくこともなく快適だった。

 道が下りになり、田畑がマス目のように並ぶ風景が眼下に広がった。阿蘇の街だ。



 火口のある阿蘇五岳を中心とし、外輪山に囲まれたドーナツ型の平地に、人々が生活している。タクシーは外輪山を登っていたのだ。山肌は淡い黄色の枯れ草に覆われて、らくだのこぶのようだった。



 下りの道は曲がりくねり、いろは坂を思い出す。

 ホテルに着き、部屋に荷物を置いて、郷土料理が食べられる「山賊旅路」という店に向かった、が!



「本日の営業は終了しました、って札が出てる」
 とDちゃん。
「エーッ!」
 ここで食事をするために、店の斜め前のホテルに泊まることにしたのに(紹介が遅れましたが、Dちゃんと二人旅です)

 一キロほど歩き、阿蘇駅の横にある道の駅へ。休憩所のテレビでは、阿蘇を特集した番組の録画を流していた。ふと見ると、芸能人が「山賊旅路」で食事をしている。
「ずるーい!」
 しかしそう叫びながら食べたパンがメチャクチャ美味かった。「豆の木」という地元のパン屋さんの「ビールスティック」という商品。グリッシーニのようにカリッとしており、バターの香りがしっかり感じられる。店舗までは少し歩かないといけないので、道の駅で買えて良かった。

 ホテルに戻り、まだ七時前だというのにベッドにもぐり込んだ。こんな時間に寝ているなんて何だか病人みたいだ。旅行前の私は気が滅入り気味で、本当に病人だったのかもしれない。

<旅の備忘録>
☆羽田空港では、荷物を預けるカウンターが大行列で二十分ほど待たされた。手荷物検査もあるし、場内の移動も多いので、飛行機は出発時刻の一時間前には空港にいないと危ない。
☆交通機関は出来るだけ予約しておこう。バスの代わりに乗ったタクシーの代金はけっこうな額だった。ガイドブックには「予約不要」って書いてあるのに〜

熊本旅行記(2日目 阿蘇)に続く)
 
posted by 柳屋文芸堂 at 14:31| 旅行・お出かけ | 更新情報をチェックする

2018年02月09日

頭木弘樹(編訳)「絶望名人カフカの人生論」感想

絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫) -
絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫) -

 社会的に成功したり、お金持ちになったりするのもきっと大変だろうけど(私はなってないから想像するだけ)「ただ生きる」だけでもずいぶん大変だよなぁ、と常々感じていた。
 それは錯覚ではなかった。
 同じような重たさを、一生感じ続けた人がいた!

 それは小説家のカフカ。
 この「絶望名人カフカの人生論」は、彼のネガティブな名言ばかりを集めた本です。
「分かる! 分かるよ、カフカ〜」
 と叫びながらあちこち付箋だらけにして読みました。

 社会的な責任をどれだけ少なくしても(私は親でも会社員でもない)責任が0になることはない。
 この、何を捨てても残ってしまうぼんやりとした重たさは、
「私として生きなければいけない責任」
 なのだと分かった。

 カフカはその繊細な性質のせいで、この重みを意識し過ぎた。
 この責任から逃れるには、死ぬよりほかない。
 しかしカフカは自殺もしなかった。

「内面生活の描写以外、他のどんなことも、ぼくを満足させられないのだ」

 私が一番共感した文章。
 いやほんと、なんでなんでしょうね?
 内面生活の描写をしている時のあの喜びは他では絶対に得られないもので、あの瞬間だけ私は孤独でなくなる気がする。
 そこにあるのは私の内面と、その内面を表す文字だけで、実際には世界から切り離されているというのに。
 だからこそ、だろうか。

 世の中には、ポジティブな考え方や、順調に生きているように見える人々があふれている。
 けれども実際は、そういうものに押しつぶされそうになっている人の方が多いのではないか。
 カフカの言葉は暗くて真面目で、そのせいでかえって可笑しい、というものが多いし、全ての言葉に頭木さんの解説が入っていて読みやすい。

 冬の寒さと現代社会に疲れている皆さん、ぜひどうぞ。
 誰にも気がねせずに、ガンガン絶望しようぜ……!
 
posted by 柳屋文芸堂 at 10:48| 読書 | 更新情報をチェックする

2018年02月03日

「石内都 肌理(きめ)と写真」展感想

 横浜美術館で開催中の石内都さんの写真展に行ってきました〜!
 私は石内さんの写真が大好きなのですが、その感情はあまりにも個人的で、
「面白いよー! ぜひ行ってみてー!!」
 と薦めるような感じでは全くない。

 石内さんの写真のどこが良いか、正確に言葉にするのは難しい。
 撮られるべきものがきちんと写っている。
 余分なものも足りないものも過剰なものもない。
 それを基本とした上で、胸の奥の方にじわじわと来る何かがある。

 塗料のはがれた壁や、年老いた人の肌の質感。
 ざらつきやしわ。それを作り出した歳月。

 痛みはあるが「痛々しい」のではない。
 もっと静かで深い疼き。

 傷と傷跡は違う。
 傷跡は「治っている」
 記憶だけを残して。

 私は浅はかさを罪だと考えている。
 浅はかさは人を傷付けるし、物事の解決を難しくしたりもする。

 人間には表面しか見えない。
 今現在の姿しかとらえられない。

 でも物事には、内側もあれば過去もある。
 表面から、内面や時間の積み重ねを正確に読み取ろうと努力することが、浅はかさから抜け出すための道になるのではないか。
 誤読をしてしまう可能性も十分にあるけれど。

 「分からない」のが世界や人間の本質で、もし「分かった」と思ってしまったら、そこには何らかの技術か作為かまやかしが存在しているのではないか。

 簡単に答えを出さないこと。
 考え続けること。

 フリーダ・カーロの遺品の写真が会場で一番華やかで、美しかった。
 色彩がぱあっと明るく、フリーダの悲しみより、彼女がそれを選んだり、身に付けたりしていた時の喜びの方が強く伝わってきた。

 会場には展示されてなかったけれど、石内さんが撮影した荒木陽子さん(アラーキーの奥さん)の写真もあるらしい(写真集のタイトルは「1・9・4・7」)写真美術館の図書室あたりで探してみよう。

写真関係 (単行本) -
写真関係 (単行本) -

 この石内さんのエッセイ集も読んでみたいな。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:26| 美術 | 更新情報をチェックする

2018年02月02日

柑橘とマスカルポーネのデザート

【作り方】
1、柑橘類の薄皮をむきます。
2、マスカルポーネと1を混ぜます。
3、ココアの粉を少しかけていただきます。

 Dちゃんが言い出して、やってみたら予想以上でした。
 柑橘類&チョコでオランジェット、マスカルポーネ&ココアでティラミス。
 全部合わせても美味しいのね。
 またやろうっと。

 家にあるデコポンで作りましたが、もうちょっと薄皮がむきやすい柑橘類の方がラクだと思います。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:45| 料理・食べ物 | 更新情報をチェックする